長野原町かるた

長野原かるた巡り「て」天明の災害あわれ新井村

ブゲン
どうもブゲンです!今回の長野原かるたは「て」の札を紹介するよ♪
ブゲン
前回紹介した「わ」の札の場所にも関連している内容になるからね!
どんな札なんじゃ…?
ふく老師
ブゲン
ある事が原因で消滅してしまった、幻の村についての札なんだ…
ほう…それは興味深いのぉ…
ふく老師
ブゲン
さっそく見ていこう!
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幻の新井村

長野原町にかつて存在していた「旧新井村」は、いったいどのような事が原因で消滅してしまったのでしょうか。

ブゲンとふく老子が「わ」の札で訪問した総合運動場にこのような看板が立てられていました。

新井村は、わずか5戸という小村であった。天明3年(1783)浅間山大噴火で吾妻川に流れ込んだ熱泥流に押し流され、小村はほとんど全滅してしまった。村の南方雑木林の中に当時の墓地が残っているが、向かいあった約30基の墓石は無縁仏として寂しく眠っている。現在総合運動場になっている敷地の大部分が往時の新井村であった。

ブゲン
浅間山の大噴火に巻き込まれてしまったんだね…
わしらが訪れた総合運動場の場所が、かつて新井村があった場所なんじゃな…
ふく老師

ブゲン
運動場の隅っこに「新井村の由来」と書かれた看板があったよ!

新井村はもともと10戸に満たぬ小村で、沼田藩真田氏の領有であったが、天和元年(1681)の改易によって幕府の直轄領となり岩鼻代官の支配を受けた。天明3年(1783)の浅間山噴火により甚大な損害を被ったこの小村は復興を果たせぬまま、漸次離散し明治8年(1875)与喜屋村に合併された。

ブゲン
この場所から少し離れた雑木林にも行ってみたんだ!

被害にあった新井村の人々が眠る雑木林

ブゲン
ここは長野原町の給食センターから程近い場所にある雑木林だよ。
ブゲン
所々で足場が悪くなっているから向かう時は気をつけてね!

ブゲン
旧新井村墓地入口と書かれた看板が出てきたよ!
この場所に新井村の人々が眠っているんじゃな…
ふく老師

ブゲン
解説の通り、30基ほどのお墓が向いあって並んでいたよ。
ブゲン
ただ、木々に囲まれていて少し寂しい場所に思えちゃったな…
これに写っているのはお墓かい?
ふく老師
ブゲン
そうそう!特別にこのお墓だけ撮ってきたんだ。書かれている文字をよく見てね。
逆水という文字が見えるのぉ…
ふく老師
ブゲン
そうだよね。この文字が書かれたお墓が見つかったことで、新井村が泥流に呑まれたという証拠になっているそうなんだ!
なるほどのぉ…
ふく老師
ブゲン
噴火の悲劇を忘れないためにも、この場所は大切に残していかないといけないね!

 

  • この記事を書いた人

ブゲン

食べることと群馬の郷土かるたが好きなブロガー。好きな食べ物は「餃子」好きな上毛かるたの札は「よ」 かるたが繋いだご縁で光GENJIの佐藤寛之氏とラジオ共演を果たし、ライブイベントでは司会や補助を頼まれたことも…。自分には無縁と思われた世界を知り、戸惑いもあったがやれば出来ると自信に繋がる。つまり何が言いたいかというと、かるたって人と人を繋げる不思議な魅力がある♪

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