長野原町かるた

長野原かるた巡り「あ」浅間路の旅人守った丁杭観音

ブゲン
どうもブゲンです!今回の長野原かるた巡りは「あ」の札を紹介していくよ!
ブゲン
この札は、浅間山の大噴火の影響を受けて、ある理由から道中に置かれた観音様に関するものなんだ。
噴火との関係がわからんのぉ…
ふく老師
ブゲン
ふく老子は飛べるから関係ないよっ♪
なんだか仲間外れで悲しいのぉ…
ふく老師
ブゲン
まぁまぁ♪さっそくこの札について調べていこう!

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長野原町かるた
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丁杭観音の役割

まずは、丁杭観音の役割を見ていきましょう。

ここは、浅間山に向かう途中の道です。

分かりにくいかもしれませんが三方向に分かれています。

現在こそ道路が整備され迷うことは少ないですが、当時はここまで分かりやすくはなかったと思います。

そういった迷いやすい分岐点に、観音様が置かれていたのです。つまりは目印ですね。

ブゲン
なるほど〜。でもなんで置かれるようになったのかな?

それについてはこちらの説明を読んでみましょう。

天明三年(一七八三)浅間山の大噴火により六里ヶ原一面の砂漠となり、風吹けば道は消え、雪降れば一面の雪原となり、旅行く人々は道に迷ったので分去の茶屋に基点観音を立て、大笹、狩宿新田、沓掛の三方面に一丁毎に道しるべ観音を建てて旅人の行先方向を示した。

ブゲン
浅間山の噴火で道が消えちゃったり、雪で真っ白になっちゃったり、旅人には厳しい道になってたんだね…

最初に紹介した、三方向に分かれている場所に基点となった茶屋がありました。

この場所を基点に、浅間山の至る所に観音様が置かれていきます。

ブゲン
あれ、茶屋にも観音様があるはずだけど見当たらないよ?
実はなブゲン…観音様はいま、ある場所にまとまって置いてあるんじゃ。
ふく老師

桜岩地蔵尊

道中に置かれていた丁杭観音は現在、桜岩地蔵尊に移されています。

ブゲン
丁杭観音っていっぱいあったんだね〜!
ブゲン
でもなんでこの場所に移されちゃったんだろうね?
ふく老師
ブゲンや、この看板を読んでみい…

寛永四年(一七五一)に狩宿村の人々が浅間超えの旅人達の安全を願って分去地内の砂塚に二間四方のお堂を建て、地蔵尊を安置したところ、鎌原の延命寺が、「当方が既に浅間山鬼神堂に虚空菩薩と地蔵菩薩を本尊として長年奉祀しているのに何の断りもなしに浅間山里宮というのは不届きである」とし、他の場所に移すよう申し入れた。地蔵尊の開眼供養をした常林寺の和尚は「一寸たりとも動かすことをまかりならんと主張し、狩宿の名主は潰すとも焼捨てるとも勝手にされたい」といい、たまりかねた延命寺側は宝暦十二年(一七六二)寺社奉行に訴え出た。裁決は地蔵尊片付けとなり、他の場所へ移された。

(嬬恋村黒岩正雄氏所蔵古文書)

大正七年(一九一八)、旧草津街道の岩屋橋南東にあったこの地蔵尊を草津軽便鉄道株式会社が、桜岩の地に移し安置した。桜岩の地名は、岩を割った桜の大木が両側にあったことに由来する。

平成二十九年三月吉日 長野原町教育委員会

ブゲン
つまり…移動したのは大人の事情ってやつだね!
そ、そういうことになるかのぉ…
ふく老師
ブゲン
観音様のおかげで迷わず進めた旅人もいると思えば、これからもこの場所は大事にしていかなきゃだね♪

場所

今回の記事で紹介した場所を載せていきます。

・分去の茶屋

・桜岩地蔵尊(群馬県吾妻郡長野原町北軽井沢1990−4053)

  • この記事を書いた人

ブゲン

食べることと群馬の郷土かるたが好きなブロガー。好きな食べ物は「餃子」好きな上毛かるたの札は「よ」 かるたが繋いだご縁で光GENJIの佐藤寛之氏とラジオ共演を果たし、ライブイベントでは司会や補助を頼まれたことも…。自分には無縁と思われた世界を知り、戸惑いもあったがやれば出来ると自信に繋がる。つまり何が言いたいかというと、かるたって人と人を繋げる不思議な魅力がある♪

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