長野原町かるたについてはこちら↓↓
-
長野原町かるた全札まとめ(群馬の郷土かるた)
どうもブゲンです。この記事では、群馬県長野原町の郷土かるた「長野原町かるた」を紹介していきます。 上 ...
続きを見る
スポンサーリンク
丁杭観音の役割
まずは、丁杭観音の役割を見ていきましょう。
ここは、浅間山に向かう途中の道です。
分かりにくいかもしれませんが三方向に分かれています。
現在こそ道路が整備され迷うことは少ないですが、当時はここまで分かりやすくはなかったと思います。
そういった迷いやすい分岐点に、観音様が置かれていたのです。つまりは目印ですね。
それについてはこちらの説明を読んでみましょう。
天明三年(一七八三)浅間山の大噴火により六里ヶ原一面の砂漠となり、風吹けば道は消え、雪降れば一面の雪原となり、旅行く人々は道に迷ったので分去の茶屋に基点観音を立て、大笹、狩宿新田、沓掛の三方面に一丁毎に道しるべ観音を建てて旅人の行先方向を示した。
最初に紹介した、三方向に分かれている場所に基点となった茶屋がありました。
この場所を基点に、浅間山の至る所に観音様が置かれていきます。
桜岩地蔵尊
道中に置かれていた丁杭観音は現在、桜岩地蔵尊に移されています。
寛永四年(一七五一)に狩宿村の人々が浅間超えの旅人達の安全を願って分去地内の砂塚に二間四方のお堂を建て、地蔵尊を安置したところ、鎌原の延命寺が、「当方が既に浅間山鬼神堂に虚空菩薩と地蔵菩薩を本尊として長年奉祀しているのに何の断りもなしに浅間山里宮というのは不届きである」とし、他の場所に移すよう申し入れた。地蔵尊の開眼供養をした常林寺の和尚は「一寸たりとも動かすことをまかりならんと主張し、狩宿の名主は潰すとも焼捨てるとも勝手にされたい」といい、たまりかねた延命寺側は宝暦十二年(一七六二)寺社奉行に訴え出た。裁決は地蔵尊片付けとなり、他の場所へ移された。
(嬬恋村黒岩正雄氏所蔵古文書)
大正七年(一九一八)、旧草津街道の岩屋橋南東にあったこの地蔵尊を草津軽便鉄道株式会社が、桜岩の地に移し安置した。桜岩の地名は、岩を割った桜の大木が両側にあったことに由来する。
平成二十九年三月吉日 長野原町教育委員会
場所
今回の記事で紹介した場所を載せていきます。
・分去の茶屋
・桜岩地蔵尊(群馬県吾妻郡長野原町北軽井沢1990−4053)