たまむら歌留多

「れ」例幣使かよいし道の宿場町~たまむら歌留多巡りの旅~

ブゲン
どうもブゲンです!たまむら歌留多巡りやっていくよ♪
ふく老師
どんな札を紹介してくれるんじゃ…?
ブゲン
今回紹介する札は「れ」の札だよ!
ブゲン
昔、玉村町には宿がたくさんあって、そこを例幣使と呼ばれる人達が使っていたんだって!
ブゲン
それに関する札なんだよ!
ふく老師
そうなんじゃな…
ブゲン
さっそく調べていこう♪

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例幣使とは?

まずはじめに、「例幣使」というのはなんでしょう?

札にはこう書かれています。

 江戸時代、日光例幣使と呼ばれ、徳川家康をまつる日光東照宮の春の大祭に京都の朝廷より幣帛を奉納するために派遣される勅使である。

朝廷から派遣された勅使というのが「例幣使」だそうです。

文中にある「幣帛」というのは、へいはくと読み、神前に捧げる物のことを言います。

その勅使が玉村町を通過し、日光東照宮に向かったということになります。

日光例幣使街道

例幣使街道は、玉村町の県道142号になります。

例幣使が通っていた時代、この通りにはたくさんの宿があったそうです。

しかし、大火事が起きてしまいそのほとんどが焼失してしまいました。

現在は当時の面影をほとんど感じることはできません。

例幣使が通ったこの道は、とにかく直線距離が長いです。

以前、たまむら歌留多で紹介した五料関所跡。

例幣使一行は、利根川を渡り、この関所を抜けて日光に向かいます。

「わ」渡し舟今は昔の五料の関所~たまむら歌留多巡りの旅~

街道沿いには、上新田の井田家住宅があります。

宝永2年から酒造業を営んでおり、その後は様々な商品を販売するお店です。

玉村町最古の民家建築で、江戸時代から存在する数少ない建物となっています。

ここも例幣使が利用したと伝わっています。

 玉村町を東西に抜ける県道142号線は、江戸時代日光例幣使街道と呼ばれ、日光例幣使の一行が通るために整備された道でした。現在の玉村町内には玉村宿と五料宿があり、玉村宿は日光例幣使道第一番目の宿場でした。玉村宿は四丁目から七丁目にかけて五十軒程の旅籠屋が建ち並び、六丁目には本陣、四丁目・七丁目には問屋場が置かれていました。町民の中では日光例幣使道を往還(おうかん)と呼び、親しまれています。
引用元:たまむら歌留多/れ
ブゲン
昔は、たくさんの宿場や問屋が建ち並んでいたんだね!
ふく老師
そうみたいじゃな…

ブゲン
ボクも今度、例幣使になったつもりでこの通りを歩いてみようかな♪


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  • この記事を書いた人

ブゲン

食べることと群馬の郷土かるたが好きなブロガー。好きな食べ物は「餃子」好きな上毛かるたの札は「よ」 かるたが繋いだご縁で光GENJIの佐藤寛之氏とラジオ共演を果たし、ライブイベントでは司会や補助を頼まれたことも…。自分には無縁と思われた世界を知り、戸惑いもあったがやれば出来ると自信に繋がる。つまり何が言いたいかというと、かるたって人と人を繋げる不思議な魅力がある♪

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