沼田かるた

久米民之助沼田公園生みの親~沼田かるた巡り~「く」

どうも舞幻です。

沼田かるた巡りの旅、今回は「く」の札を紹介します。

~久米民之助 沼田公園 生みの親~

この方は沼田市の発展に大きな貢献をした人物なのです!

一体どんなことをしたのか!?

さっそく調べていきましょー♪

スポンサーリンク

どんな人?

沼田市名誉市民となっている久米民之助(くめたみのすけ)は1861年8月27日に沼田市に生まれました。

幼い頃に両親を亡くし、裕福とは言えない厳しい環境の元育ちました。

1861―1931。沼田藩倉内(現東倉内町)の武家屋敷に生まれ、工部大学(現東京大学)卒業。実業家として山陽線をはじめ、台湾・朝鮮など国内外の鉄道事業に携わるとともに、故郷沼田地域の開発にも力を入れ衆議院議員に当選。当時は荒れ地だった沼田城址を私財と熱意をもって整備し沼田公園とした。 引用元:沼田市役所/http://www.city.numata.gunma.jp/shisei/profile/shokai/1001993.html

東京大学工学部を卒業後に豪商高島嘉右衛門の土木工事を助けるなど、活動を行った後に宮内庁に入省します。

入省後に皇居二重橋の設計・造設に携わるのです。

その後は東京大学工学部の助教授を務めますが、実業の夢を諦めきれず退職して夢に向かって歩きはじめます。

欧米諸国を視察し見聞を広めた民之助は、帰国後に久米工業事務所を設立します。

大正の前半にかけて多くの鉄道工事にも携わっていくのです。

 

沼田市には晩年になってから、関わってくることになります…

沼田でどんなことをしたの?

彼は晩年、故郷の沼田市に戻り、荒廃した沼田城址をなんとかしたいと考えます。

そこで私財を全て投入し、公園として購入し整備します。

大正15年1926年に当時の沼田町に公園が寄付されています。

現在こそ市民の憩いの場として利用されている沼田公園ですが、当時の荒廃ぶりはどのようなものだったのでしょう…

公園の入口には、久米民之助の銅像と紹介看板が設置されており、彼の功績を確認することができます。

沼田公園内にある旧土岐家住宅洋館の2階に久米民之助を含む沼田市名誉市民の方が紹介されています。

ちなみに情報ですが…2階には沼田かるた一覧も紹介されていますよ!

入館料は大人100円、小中学生60円です。

久米民之助のお墓

お墓があるのは沼田市鍛冶町にある正覚寺です。

正覚寺には沼田かるた巡り「る」の札になっている小松姫のお墓もあることで有名ですね!

留守の城守りとおした小松姫~沼田かるた巡り~「る」

境内の一角に久米民之助のお墓はあります。

この道を真っ直ぐ進んだ先に見えてきます。

看板が出ているのですぐに見つけることができると思います。

見てくださいこの紹介文の長さを…

私がこの記事で紹介したのは本当にごく一部なので、気になる方は正覚寺か沼田公園に足を運んでみてください♪

アクセス

住所:群馬県沼田市西倉内町594番地(沼田城址公園)

住所:群馬県沼田市鍛冶町938(正覚寺)


にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 群馬県情報へ
にほんブログ村

  • この記事を書いた人

ブゲン

食べることと群馬の郷土かるたが好きなブロガー。好きな食べ物は「餃子」好きな上毛かるたの札は「よ」 かるたが繋いだご縁で光GENJIの佐藤寛之氏とラジオ共演を果たし、ライブイベントでは司会や補助を頼まれたことも…。自分には無縁と思われた世界を知り、戸惑いもあったがやれば出来ると自信に繋がる。つまり何が言いたいかというと、かるたって人と人を繋げる不思議な魅力がある♪

-沼田かるた

© 2024 まいらいふり〜すたいる