長野原町かるた

長野原かるた巡り「な」中山道の裏を固めた狩宿関所

ブゲン
どうもブゲンです!今回の長野原かるた巡りは「な」の札を紹介するよ♪
関所の札は上毛かるたにもあったのぉ…
ふく老師
ブゲン
碓氷峠の関所跡だね!長野原かるたにも関所の札があるんだね♪
じゃあわしは、日光浴でもしてくるかのぉ…
ふく老師
ブゲン
なに言ってるの♪…一緒に行くんだよ!!
(この子最近こわい…)
ふく老師
ブゲン
さっそく行ってみよう〜♪

長野原かるたについてはこちら↓

長野原町かるた
長野原町かるた全札まとめ(群馬の郷土かるた)

どうもブゲンです。この記事では、群馬県長野原町の郷土かるた「長野原町かるた」を紹介していきます。 上 ...

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札の解説

ブゲン
まずは札に書いてある解説を見てみよう!

中山道裏街道は、板鼻宿より分かれて須賀尾峠を超え狩宿宿を通過し沓掛(くつかけ)方面に通じる脇往還である。草津方面への浴客や行商人等の通る通路で、途中狩宿に領土治安維持のため寛文2年(1662)関所が設置された。以後明治元年に廃止されるまで200年余り治安維持にあたった。現在、関所跡の碑が建設され往時を偲ぶことができる。

ブゲン
くつかけ方面っていうのは中軽井沢のほうなんだって!
草津の方に行く人が通った道だったんじゃな…
ふく老師
ブゲン
じゃあ実際に行ってみよう♪

狩宿関所跡

わしの勘じゃとこの辺りなんじゃが…
ふく老師
ブゲン
いやここどこ!かれこれ1時間は歩き回ってるよ!
ブゲン
あ、学校があるよ!応桑小学校だって!
ブゲンや、あそこを見てみい…
ふく老師

ブゲン
碑があるよ!
ブゲン
狩宿関所跡之碑って書いてあるね!
小学校がある場所の付近に関所があったんじゃな…
ふく老師
お、ブゲンやあそこを見てみい…
ふく老師

ブゲン
古そうなお家?があるけど、それがどうかしたの?
ここは狩宿本陣跡なんじゃよ…
ふく老師
昔、関所があった場所の付近には宿がいくつもあったんじゃ…
ふく老師
ブゲン
じゃあ狩宿関所が使われていた時の宿だったってこと!?
そうじゃ…何軒か軒を連ねていたらしいが、特にこの建物には位の高い人物が泊まったそうじゃよ…
ふく老師
ブゲン
へぇ〜!いまじゃ静かな場所なのに、なんか歴史を感じるね!

戦国時代上田・沼田間は真田氏にとって重要な戦略路であった。慶安4年(1652)真田氏は狩宿に小規模の私関を創設した。この地は狩宿新田と呼ばれ、中山道の脇往還としての信州街道と、沓掛、草津、川原湯間の往還の交差点の要衝で、寛文2年(1662)徳川幕府はこの地を公関として裁決、同4年(1664)3月25日普請が開始された。当時の掟によると善光寺への参詣の旅人と、草津、川原湯への入湯客が主な取締の対象で特に「入鉄砲」と「出女」の詮議は厳しかった。「狩宿関所跡之碑」の記念碑は、昭和45年応桑老人会と町当局の手によって建設された。撰文は応桑出身の郷土史家萩原進氏、書は長野原の小学校で教鞭をとったことのある米倉大謙氏で、碑の下方の関所の見取図は関守の一場氏の子孫が保管していたものである。関所の建物は東西20間(約37m)南北24間(約44m)の堂々たるものであった。関守4名と地元の人々の課役によって約200年余りにわたり維持されてきたが、幕藩体制の崩壊とともに明治元年(1868)廃関となった。

長野原町教育委員会

ブゲン
今は使われることのない関所だけど、地元の歴史を知る上でこれからも大切に保管しないといけないね!
  • この記事を書いた人

ブゲン

食べることと群馬の郷土かるたが好きなブロガー。好きな食べ物は「餃子」好きな上毛かるたの札は「よ」 かるたが繋いだご縁で光GENJIの佐藤寛之氏とラジオ共演を果たし、ライブイベントでは司会や補助を頼まれたことも…。自分には無縁と思われた世界を知り、戸惑いもあったがやれば出来ると自信に繋がる。つまり何が言いたいかというと、かるたって人と人を繋げる不思議な魅力がある♪

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