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浦野神村とは?
浦野神村(じんそん)という人物は、1744年に生まれました。
伊勢崎藩の藩校や学習堂の教授として数多くの生徒を教えてきました。
隠居後は、嚮義堂(きょうぎどう)で講義を行っていました。
また、優れた行政吏としても知られ、天明3年の浅間山噴火で発生した泥流被害の際にも取鎮方として活躍しました。
79歳没。
嚮義堂
晩年、浦野神村さんが講義を行っていた嚮義堂(きょうぎどう)です。
玉村町に、復元された建物が残されています。
敷地の庭には記念碑「嚮義堂碑」が残されています。
敷地内には、普段立ち入ることができないようでした。
それでは嚮義堂の歴史を見ていきましょう。
伊勢崎藩の儒臣であった浦野神村をはじめ、藩儒が交代で出講しました。鬼瓦に「學」の文字が刻まれており、庭前には記念碑「嚮義堂碑」が残されています。
明治五年(一八七二)の学制の発布により、その後は青年・成人教育機関として、大正時代まで使用されました。この建物は当時のものではなく、明治時代に再建されたものですが、郷校の精神を引き継ぐものです。
引用元:玉村町教育委員会