どうもブゲンです。
沼田かるた巡りの旅、今回は「せ」の札を紹介します。
「せ」の札は人物札となります。
~先覚の 女子教育者 星野あい~
教育者ということは、先生でしょうか…?
さっそく調べていきましょう♪
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星野あい
記事中は、出来事をざっくりまとめています。詳しく知りたい方は調べてみてください。
星野あい(以下、あい)は、明治17年横浜に生まれます。
父の宗七は沼田市戸鹿野町の人で、横浜で生糸貿易業「星野屋」を営んでいました。
しかし、あいが生後間もなく、星野屋は倒産してしまいます。
そのため、一家が揃って沼田市に帰郷することになるのです。
あいという名前の由来には、以下のような背景があったとされます。
生後まもなく「星野屋」が倒産し、一家は群馬県沼田に帰郷した。 両親はこの失意のどん底で授かった子を、「『神は愛』をもって、試練の最中にも神の御手が差し伸べられていること、希望は決して失望に終わることがないという強い確信と平安を得たことであろう」と考え、“あい”と名付け、一家はキリスト教信仰をさらに深めた。
引用元:歴史が眠る多磨霊園/http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/H/hoshino_a.html
沼田小学校で学び、兄の光多の助けにより、横浜フェリス女学校、女子英学塾(津田塾大)を卒業します。
彼女の人生に大きく関わってくる人物が、女子英学塾を設立した「津田梅子」(以下、梅子)です。
梅子が自身の留学体験を、日本人学生にも体験してもらうため、留学を推進していました。
あいは留学に選ばれ、アメリカのブリンマー・カレッジ理学部を卒業します。
帰国後は、女子英学塾の教師として、女子教育に力を注ぎます。
1929年に、初代塾長の津田梅子が死去し、あいが第二第塾長に就任するのです。
その後、日本は戦争に突入し英語教育もできなくなってしまいます。
1943年に数学科と物理科学化を増設した「津田塾専門学校」と改称します。
戦後の1948年、「津田塾大学」を設立し、初代学長に就任します。
沼田市名誉市民
星野あい氏は、初代津田塾大学学長で沼田市名誉市民にもなっている人物です。
沼田市名誉市民に選ばれているのは、平成26年7月時点で7名だけです。
その中に選ばれているのですからスゴイ人物ですよね!
女子教育の先覚者として、国際的に活躍した人物。
その志は、現在の学生たちにも伝わっていることでしょう。
沼田市にはスゴイ方がいるのですね♪
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