どうも舞幻です。
沼田かるた巡りの旅、順調に進んでおります!
今回は「さ」の札になっている「城鐘」について紹介していきます。
札に描かれている城鐘ですが、これは沼田公園にある鐘楼の鐘のことを指しています。
こちらの鐘楼は沼田公園のシンボル的存在になっていますよね♪
とゆうことで今回は鐘楼の歴史についてお伝えしていきたいと思います!
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沼田公園の鐘楼
平成29年現在、鐘楼は沼田公園の沼田城本丸跡の一角に建てられています。
沼田公園に行ったことがある方は一度はこの鐘楼を見かけたことでしょう。
それだけ公園内でも存在感があり、目立つ建物となっています。
ちなみに鐘楼とは鐘を鳴らして時を告げる施設のことです。
私が子供の頃からこの場所にあったので、ずっとここにあるものだと思っていたのですが、実は違ったのです……
その歴史を紐解く答えは沼田市役所の目の前にある「中央公民館」で明らかとなりました。
中央公民館にある城鐘
さてさて、舞台は変わりまして中央公民館にやってまいりました。
こちらの建物は1階が駐車場になっていて2階が入口となっています。
この入口に「城鐘」が保存・展示されています。
見てください!絵札と全く同じ鐘がありましたよ♪
保存状態がとても良いですね。
とゆうのもこちらの城鐘は寛永11(1634)年に鋳造された物なのです。
そんな昔の物が今こうして自分の目で見られるのはとても貴重なことですよね~
では沼田市が紹介している資料を引用させていただきましょう!
この鐘は、寛永11年(1634)に、真田氏2代沼田藩主真田信吉が鋳造させ、沼田城内三の丸の楼に掛けて時報に用いた。天和元年(1681)真田氏改易により平等寺の焚鐘となっていたが、明治になり沼田町の時鐘に復帰した。
寛永11年の鋳造銘と天保2年の補刻があり、由緒が的確であり、美術的にも優秀なものである。
全体の形として古式を残し、江戸時代初期の代表的なものである。身高82.4センチ、口径67.6センチ。
引用元:沼田市公式HP/http://www.city.numata.gunma.jp/kyouiku/bunkazai/ichiran/ken/1000833.html
城鐘は群馬県指定重要文化財にもなっている貴重な物なのです。
真田氏の時代に沼田城で時報の鐘として使われていましたが……
初代沼田城主でこの鐘を鋳造するよう命令した真田信吉の次男。
真田信利の悪政により、沼田藩を改易されてしまいます。
改易というのは大名や旗本などの武士から身分や所領、城などを没収されることです。
ちなみにこの時、信利が何をしたかは↓の記事を読んでもらえば分かると思います♪
【上毛かるたGO】て・~天下の義人茂左衛門~多くの民を救った英雄!札のゲットできる場所やパートナー店舗も紹介♪
そんなこんなで当時の徳川幕府により城は壊されてしまい、城鐘も埋められそうになってしまうのです。
……ですが!平等寺というお寺によって城鐘は幕府から買われ、寺の梵鐘となりました。
「この鐘の音は領内領民を安らかにし、領主の長久を祈るもの…」これは平等寺の梵鐘となった由来として鐘に刻まれています。
その後、明治31(1898)年頃になると沼田町の時報の鐘として利用されるようになります。
そうなんです!この頃には平等寺ではなく、ある場所で時報の鐘として使われていたのです。
みなさんどこだか分かりますか!?そう……この場所です!
現在の沼田市役所の位置にあったのです!
ちなみにその当時の写真も中央公民館で見ることができます。
それがこちら。
沼田公園にある鐘楼とほとんど同じですよね!
当時の町民にとても愛されて、シンボル的存在だったそうです。
市庁舎が建設される昭和39(1961)年まで約66年間、町民の時報の鐘としてこの場所で活躍しました。
その後、しばらく城鐘は保存されていましたが、昭和58(1983)年に沼田城本丸跡に鐘楼が再建されると、再び時報の鐘として復活することとなります。
現在、沼田公園内の鐘楼の時報の鐘は、複製されたものが掛けられています。
本物の城鐘を見てみたい方は是非とも中央公民館に足を運んでみてはいかがでしょうか?
アクセス
住所:群馬県沼田市東倉内町829−1
開館時間:8:30~22:00
休館日:毎月第1日曜日(ただし、行事等により変更もあり)
8月3日~5日、12月28日、1月4日の夜間。他、館長が特に必要と認める夜間。
年末年始(12月29日~1月3日)
料金:城鐘の見学のみであれば無料です。
駐車場:あり(1階が駐車場。バイク・自転車置き場もあり)
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