どうもブゲンです。
沼田かるた巡りの旅、今回は「ろ」の札を紹介していきます。
この札は戦国時代の武将「真田信吉」と「天桂寺」というお寺についての札になっています。
沼田市は、真田の里として様々なPR活動を行っています。
この札には一体どのような意味が込められているのでしょうか。
さっそく調べていきましょう♪
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真田信吉とは
※おおまかに紹介しているため、辻褄が合わない箇所があるかもしれませんがご容赦ください。
真田信吉は2代沼田藩主。真田信之の嫡男になります。
兄弟には、信濃松平藩2代藩主「真田信政」、信濃埴科藩2代藩主「真田信重」がいます。
生年については諸説がありますが、ここでは文禄4年(1595年)としておきます。
父の真田信之は、関ヶ原の戦いまでは真田信幸と名乗っていました。
東軍西軍に真田家が分かれる際、父である真田昌幸との決別を表すため、信之という名に改名したとされています。
母は、真田信綱の娘である「清音院殿」とされています。※諸説あります。
ですが、真田家の家記に彼女についての伝記は残っておらず、謎が多い女性です。
信吉は、慶長19年(1614年)の大阪の陣に幕府軍側で参戦。
豊臣軍に敗れ敗走したと言われています。
元和元年(1615年)に従五位下河内守に叙任。
その翌年に、父である信之が上田に移り、沼田城主として3万石を相続することになるのです。
妻は、江戸幕府の老中、酒井忠世の娘(松仙院)で、2人の間には子供が1人生まれました。
その後、側室との間には、熊之助・信利の2人の子をもうけています。
信吉のお墓
信吉のお墓は群馬県沼田市材木町の「天桂寺」というお寺にあります。
天桂寺は、室町時代中期に開山とされる曹洞宗のお寺で、釈迦如来を本尊としています。
仏様の足型などもあるんです!
足に、何か彫られているんですね…
これも仏教に関係しているのでしょうか?
境内を散策していると…六文銭を見つけました!
ところで、信吉のお墓はどこにあるのでしょうか?
探し回っていると赤い橋を見つけました。
ここは、本堂から右手の方に進んだところにあります。
どうやらこの橋を渡って向かうようです。
お墓のちょうど真ん中に真田信吉のお墓がありました。
看板も設置されてるのですぐに分かると思います。
墓石には真田信吉と彫られていますね。
六文銭も確認することができました。
見学に行く際は、周囲がお墓のため、マナーを守って行くようにしてください。
アクセス
住所:群馬県沼田市材木町309(天桂寺)
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