どうも舞幻です。
今回の沼田かるた巡りは「れ」の札を紹介していきます。
この札は人物札のようですね。
「加沢平次左衛門」という人物についての札です。
この人物がどんな事をして、歴史に名を残したのか。
さっそく調べて行きましょう~♪
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どんな事をしたの?
加沢平次左衛門のお墓がある沼田市川田地区にやってきました。
そこでこのような歴史看板を発見したので一部紹介します。
ふむふむなるほど…
この方は真田信利の家臣だったのですね。
信利といえば悪政により沼田の民を苦しめてしまった人物…
一概には言えないですが、民からは慕われていない城主だったのかもしれません。
【上毛かるたGO】て・~天下の義人茂左衛門~多くの民を救った英雄!札のゲットできる場所やパートナー店舗も紹介♪
↑の記事で信利の悪政に声を上げた「杉木 茂左衛門」という人物についても紹介しているので良ければ読んでみて下さい。
まぁそれは置いといて…
加沢平次左衛門は「加沢記」という書物を残しました。
戦国初期から約半世紀に渡る、利根・沼田・吾妻の移り変わりを中心に書かれた歴史書です。
1541年から1590年は戦国時代の真っ只中。
書物には主に、真田家のことが書かれていたようです。
加沢平次左衛門は江戸時代前期の沼田藩士です。
1628年~1692年の65年間を生き、沼田城主真田信利の右筆(ゆうひつ)として仕えました。
右筆とは文書を書く役目の人です。
ここまでで引っかかる人もいると思いますが、彼が生きた時代は江戸幕府が治めるようやく平和になった時代です。
つまり加沢記に書かれている戦国時代の出来事を、彼はほとんど知らなかったようです。
おそらくですが、その時代の書物を調べたり、当時の出来事を知る家臣に聞いたりなどして執筆したのでしょう。
この65年の間には武家諸法度が改定され参勤交代が始まったり、島原の乱が起こったり、松尾芭蕉が奥の細道の旅に出たりと…本当に色んな出来事があったようです。
その生涯で彼が最も衝撃を受けたのが、主君真田信利の改易だったのかもしれません…
加沢平次左衛門のお墓
加沢平次左衛門のお墓への目印となるのがこちら!
川田公民館です!!
公民館の手前の細道をずーっと進んでいきます。
お墓の付近には駐車場が無いため、公民館に停めさせてもらいました。
館内の方に確認した所、少しなら駐車しても大丈夫と許可を頂きました。
先程の道を100mほど歩いて進むと、このような場所が見えてきます。
白い看板は最初に紹介した歴史看板です。
ちなみにですがここに来る途中に「川田城址」があります。
なぜあっさりの紹介かというと、個人の所有地の中にあるので撮影等は控えたためです…
真田信利改易後、加沢平次左衛門はこの一角に住み、生涯を送りました。
写真の矢印方向に坂を上がっていきます。
赤い矢印の所にも道があるのですが、その先には加沢平次左衛門のお墓はありません。
坂を上がった先には「内宿公民館」があります。
私はここで迷いました…
沼田市のホームページに載っているお墓の写真と一致するお墓が見当たらないのです!
辺りを歩き回りましたが同じものが見つけられず…
困った私はもう一度川田地区公民館に行くことに。
そして館内の方にお話を聞いた所…
内宿公民館の横に細い道が続いているではないですかっ!
なんでここを見落としたんだ…っ!
さっそく行ってみると…
正面にお墓っぽいのが見えます!
しかし横の林からカサカサと音が聴こえてちょっと怖かったです。
絶対動物いた…
こちらが加沢平次左衛門のお墓です。
周囲は竹林と畑などが広がる静かな場所です。
沼田市のホームページによると中央のお墓のようです。
正面には「覚誉皈本居士」が彫られ、こちらが法名となっています。
お墓の後ろはとても見晴らしが良いです!
この場所から変わりゆく沼田を眺めていたのかなぁ…
アクセス
住所:群馬県沼田市下川田町798
↑の住所は川田公民館となっています。
駐車場:なし(川田公民館に停める際は館内の方に許可を頂いてください)
利根・沼田・吾妻地域の歴史をまとめた「加沢記」
これについてのことが「沼田市史」などの沼田の歴史をまとめた本にも一部載っているようです。
沼田の図書館でも借りることも可能なので、興味がある方は読んでみてはいかがでしょうか?
また、以前紹介した沼田公園内にある旧生方家住宅の受付でも購入できます♪
生方記念資料館(旧生方家住宅)を見学してみた!~沼田かるたの旅~【う】
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