どうも舞幻です。
沼田かるた巡りの旅、今回は「に」の札になっている人形芝居と一切経について紹介します。
~人形芝居と一切経の沼須町~
沼田市沼須町では毎年4月3日に「沼須一切経祭り」が行われます。
私もこの日に現地に向かって取材してきましたよ~♪
さっそく行ってみましょう!
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一切経祭り
沼須一切経とは…
沼須一切経は、宝暦9年(1759)小林多左エ門本房が発起人となり、村民の喜捨300両にて京都から求めたものである。教典は寛文9年(1669)の鉄眼版で、沼田市においては唯一全巻揃ったものとして価値があり、昭和51年に沼田市の重要有形文化財に指定された。7千巻近くもある教典は33箱の経箱に納められ、砥石神社境内の一切経蔵に保存されている。毎年4月3日の砥石神社の祭礼時に氏子が経箱をこもで包み担ぎ棒を付け、梵天(幣束)を先頭に町を回り歩く。明治の初期に疫病がはやった際に、風入れのために始められた行事である。
引用元:ぐんま地域文化マップ/http://www2.gunmabunkazigyodan.or.jp/cgi-bin/item.php?id=1018
一切経(または大蔵経)とは、仏の問いた全経典です。
お経は時期や国によって収録内容が異なるようで、一人の人間が一生かけても読みきれない量があるらしいです。
当時の300両の価値はハッキリと分かりませんが、数千万円と言われています。スゴイですね…!
子どもたちが持っている担ぎ棒には「もこ」というものに包まれた経箱が吊るされています。
この箱の中に教典が入っており、町内を歩き回ります。
厄を払うという目的で毎年行われている沼須町の伝統行事です。
その後、同町内に鎮座する砥石神社の一切経蔵に納められます。
これが沼須一切経祭りです。
沼須人形芝居
お祭りと同時に開催されるのが沼須人形芝居です。
砥石神社の隣りにある公民館で、あけぼの座主催で行われます。
沼須人形芝居の始まりは幕末の安政年間になります。
そこから中断した時期もありましたが、昭和50年に保存会が結成され復活しました。
沼須町には人形芝居の稽古場もあるのです。
座長を務める金井竹徳氏は沼田の歴史はもちろん、県内の歴史を知り尽くしているスゴイ人です。
私も沼田かるた巡りをスタートする際はお世話になりました。
こちらは真田昌幸、真田信之、真田信繁親子です。
親子が敵味方に分かれる「犬伏の別れ」のシーンになります。
真田家の生き残りをかけた名場面が再現されています。
夫(真田信之)不在の沼田城を守り抜いた小松姫の物語は、見ている側をハラハラドキドキさせる見応えのあるものでした。
こちらは、愛する人の元へ行くために川を渡りたい女性が、船頭に乗船を拒否されてしまうという話です。
物語の題名を忘れてしまったのですが、女性の恋に対する執念を映した少し怖い話になっています。
何度も何度もお願いをしては乗船を断られる女性…
その執念が彼女を鬼の姿に変えてしまうのです!!
そして…
最終的には龍になって愛する人の元へ向かうというお話です。
なんだかスゴイ話ですよね…!
語りと三味線が人形の動きにピッタリ合っていてすごいんです!!
今回、人形芝居を初めて見させていただきましたがとても面白かったです♪
2時間の演目はあっという間に終わってしまって、もっと見たいなと思うほどでした。
沼須人形芝居はお祭り以外のイベントにも出演することがあるそうなので、気になる方はチェックしてみてください!
アクセス
住所:群馬県沼田市沼須町694