どうも舞幻です。
沼田かるた巡りの旅、今回は「も」の札の海野塚を紹介していきます。
海野塚をずっと「うみのつか」と思っていましたが「うんのづか」だったのですね笑
ちなみに海野塚ってなーに?と思っている方のために簡単に説明すると、海野輝幸という武将とその嫡男のお墓のことです!
かるたではこの海野塚が札になっていたので訪れてみることにしました♪
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海野幸光と輝幸
海野一族は真田家に仕える武将でした。
兄の幸光は岩櫃城代(城主に代わって城を守る者)でした。
弟の輝幸は沼田城の二の丸を守っていました。
さてここで資料を見てみましょう♪
真田昌幸は、小田原北条氏が藤田信吉に守らせていた沼田城を天正8年(1580)6月、手中に収め、真田一族の海野能登守輝幸を二の丸、藤田を本丸城代に、金子美濃守を執事に据えて9月に甲府へ赴く。
輝幸の兄の幸光は岩櫃(いわびつ)城代であった。この兄弟をねたむ者の「海野は北条と通ずる」との讒言(ざんげん)を信じた昌幸は、弟の信尹に命じて先ず幸光を急襲して討ち、直ちに沼田城に入った。
輝幸は、「主家に二心無き証をたてん」と迦葉山を目ざす途中、岡谷地内で真田勢に追撃された。
輝幸は、真田の検視役・田口又左衛門と沼田一の豪者・木内八右衛門を一太刀で討ち、嫡男幸貞と「無益の殺生はこれまで」と刺し違えて自刃した。父子をここに葬り、海野塚と称した。引用元:沼田市役所/http://www.city.numata.gunma.jp/kyouiku/bunkazai/ichiran/shi/1000880.html
この資料を見ると、海野兄弟は不運だったとしか言えないような……
2人の出世を良く思わない人たちがいたのですね。いつの時代もそういったものがあって嫌ですね!
しかしこの2人が生きた時代は戦国の世真っ只中、憎まれる=殺されるに直結しても何ら不思議ではない時代ですからね……
2人はありもしない罪を着せられて殺されてしまいます。
海野塚
この海野塚には輝幸と嫡男の幸貞が眠っています。
「無益の殺生はこれまで」と自刃したみたいですね。
きっと真田家に忠誠を誓う良い武将だったんだろうなぁ。
❞沼田一の豪者・木内八右衛門を一太刀で討ち❞←これ何気にスゴイことですよね!笑
ちなみに、讒言とは他人をおとしいれるためにその人を悪く言うことです。
看板キレイにしてほしいなぁと思いつつパシャリ笑
この場所はお墓なのでしっかりと一礼や手を合わせてから見学、写真を撮るようにしましょうね!
こちらは沼田ICの方面です。コンビニや車屋の交差点をたんばらスキーパークに向かう方に海野塚はあります。
その反対は川場に向かう方面です。この道を進んでいくとたんばらスキーパークに行くことができます。
果樹園も多いので観光にもおすすめですよ♪
アクセス
住所:群馬県沼田市岡谷町1117-3
沼田ICからは約15分ほどで着きます。
あいにくこの場所は駐車場がありません……
せっかく沼田かるたに選ばれているのだから設けてほしいなぁ~とここで言ってみます笑
すぐ近くに十二神社というのがあって、そこの駐車場?に車を停めることはできるみたいです。
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