どうも舞幻です。
今回の沼田かるた巡りの旅は「へ」の札の「平八郎は悲運の武将」です。
最初にこの札を見た時、私の中では平八郎=本多忠勝になっていたのでまさかこの人かっ!と思っていましたが、違いましたね笑
この人物は沼田平八郎景義(かげよし)と言い、沼田氏の最後の武将です。
沼田かるた巡りMAPには平八郎の首が晒されたであろう写真の場所がスポットになっていたので、今回はこちらから歴史などを紹介していきます。
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沼田平八郎義景ってどんな人?
沼田平八郎義景(以下、平八郎)は勇将として名を馳せていたそうです。
その強さは摩利支天の再来とも言われ、戦国時代から安土桃山時代を生きました。
彼の父親である沼田顕泰(あきやす)は約3年の歳月をかけ沼田城を築城しました。
現在、沼田城は石垣と鐘楼を見ることができるのみとなっていますがお城再建の話があるとかないとか……
沼田城に関する札もあるようなので、またその時にでも!
平八郎が若い頃、沼田氏内でのお家騒動が起こり、父親とともに追放されてしまったそうです。
ただ、この出来事についてはハッキリと分かっていないようです。
とにかく沼田の地から離れることを余儀なくされたのですね!
沼田城は北条方の北条氏秀(うじひで)が、沼田康元(やすもと)と名乗り治めていました。
その後、上杉家の進行で城が奪われ、さらに甲斐武田家が奪ったりと次々に主が変わっていったのですね……
遠くの地から平八郎はどんな気持ちで見ていたのでしょう。
そんな平八郎に好機が訪れます!!
新田領主であった由良国繁(くにしげ)の支援を受け、沼田への復帰を目指して兵を進めます。
その頃、沼田城を守っていたのは武田家に仕えていた真田昌幸でした。
摩利支天の再来と言われた勇将と、知将として名を馳せていた真田昌幸の戦は一体どうなるのか……
それは意外な結末で幕を閉じます。
昌幸は、沼田氏の旧臣であり平八郎の母方の伯父である金子泰清(やすきよ)に平八郎を謀殺するよう命令します。
身内の言葉を信じた平八郎は、甲冑を身に付けず沼田城へと向かってしまったのです。
そして城内で殺害されてしまいました……まさかの出来事に平八郎の兵たちも戸惑ったことでしょう。
これにより沼田氏は断絶してしまいました。
甲冑を脱いだとされる場所も少し離れた所にあるようなので、行く機会があればその時にでも紹介します。
平八石
謀殺された平八郎の首は、この石の上に晒されたと伝わっています。
現在の沼田公園に保存されています。
平八石にはある伝説が残っています。
首はこの石の上に、胴体は別の場所に埋葬されていました。
ですが!夜な夜な首がビューーンと胴体のある場所まで飛んで行ったというのです!
ここでまさかのオカルトとは……
まぁ実際飛んでいったのかどうかは別として、こういった伝説が残っている場所が沼田にあるのは良いこと?ですね!
アクセス
住所:群馬県沼田市西倉内町 沼田公園内
駐車場は沼田公園内にあるのでそちらを利用しましょう。
沼田城址や生方記念館を見学しつつ平八石を探してみてください♪
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