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長野原かるた巡り「わ」若人の館で明日に伸びる汗
ブゲンどうもブゲンです!今回の長野原かるたは「わ」の札だよ♪ 和算の大家せき…ふく老師 ブゲンうん。 ...
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幻の新井村
長野原町にかつて存在していた「旧新井村」は、いったいどのような事が原因で消滅してしまったのでしょうか。
ブゲンとふく老子が「わ」の札で訪問した総合運動場にこのような看板が立てられていました。
新井村は、わずか5戸という小村であった。天明3年(1783)浅間山大噴火で吾妻川に流れ込んだ熱泥流に押し流され、小村はほとんど全滅してしまった。村の南方雑木林の中に当時の墓地が残っているが、向かいあった約30基の墓石は無縁仏として寂しく眠っている。現在総合運動場になっている敷地の大部分が往時の新井村であった。
新井村はもともと10戸に満たぬ小村で、沼田藩真田氏の領有であったが、天和元年(1681)の改易によって幕府の直轄領となり岩鼻代官の支配を受けた。天明3年(1783)の浅間山噴火により甚大な損害を被ったこの小村は復興を果たせぬまま、漸次離散し明治8年(1875)与喜屋村に合併された。
被害にあった新井村の人々が眠る雑木林