長野原町かるた

長野原かるた巡り「そ」その昔悲運の武将朝比奈三郎

ブゲン
どうもブゲンです!今回の長野原かるた巡りは「そ」の札を紹介するよ♪
ブゲン
ある武将に関する札なんだけど、謎が多い人なんだって…
なるほどのぉ。歴史のミステリーじゃな…
ふく老師
ブゲン
そうだね!この謎を解き明かすのはいま読んでくれているキミかもしれないよっ!
(自分で調べるのが面倒くさいだけのような…)
ふく老師
ブゲン
さぁ!そんな札をこれから一緒に見ていこう〜!
楽しみじゃのぉ…
ふく老師

長野原町かるたについてはこちら↓

長野原町かるた
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朝比奈三郎とは

はじめに、札に書いてある解説を見ていきましょう。

朝比奈三郎は、鎌倉幕府創立に活躍した和田義盛の第三子で、建保2年(1214年)和田合戦で勇名を轟かせたが、父兄弟ともことごとく討たれ安房の国へ逃れ行方を隠した。その後、木曽の残党の潜入した西吾妻の地へ向かったのではないか。狩宿に朝比奈三郎の墓とつたえられる五輪塔がある。

ブゲン
朝比奈三郎は鎌倉時代の人なんだね!
ふむ…あの合戦は覚えておるのぉ。
ふく老師
三郎の父である和田義盛が、鎌倉幕府の将軍補佐役の北条義時に対して起こしたのが和田合戦じゃ…
ふく老師
詳しいことは省略するが、色々不満がたまっておったらしいぞ…
ふく老師
ブゲン
す、すごい…!ふく老子って何歳なの…?
フォフォ…その戦で義盛や兄弟を討たれた三郎が、この地に逃げ込んできたというわけか…
ふく老師
ブゲン
最初に安房の国(現在の千葉県)に逃げて、その後に西吾妻に向かったってことだね!

朝比奈三郎のお墓

朝比奈三郎のお墓があるのは、長野原町の応桑という地区です。

分かりにくい場所にあるため、見に行きたい方は役場などで聞いたほうがいいかもしれません。

ブゲン
ボクも役場の方に案内してもらったんだ〜♪

「朝比奈三郎の墓 入口」の看板から横道に入ると、写真のような雑木林が広がっています。

看板の場所から歩くこと約50m、右手にお墓が見えました。

ブゲン
お墓のところに看板が立っていたよ!

この五輪塔は、現在地より少し離れた黒岩義照氏の墓にあったものを移したもので、朝比奈三郎義秀の墓と伝承されている。北条九代記によれば、義秀は鎌倉の和田義盛の第三子で、生母は木曽義仲の側室、巴御前である。(中略) 五輪塔はかなり破損しているが原型を留め、その重厚な形よりこの地域では古い時代の物と思われる。また、同一の敷地内に三基の板碑が残されており時代が読めないのが残念だが、五輪塔との関係も併せ興味深いところである。

平成5年3月吉日 長野原町教育委員会

この解説を見ると、まだまだ調査中ということがわかるのぉ…
ふく老師
ブゲン
三郎さんはとても強い武将だったんだね!
これからの調査が楽しみじゃのぉ…
ふく老師
ブゲン
この謎を解き明かすのは…キミかもしれないっっ!!
  • この記事を書いた人

ブゲン

食べることと群馬の郷土かるたが好きなブロガー。好きな食べ物は「餃子」好きな上毛かるたの札は「よ」 かるたが繋いだご縁で光GENJIの佐藤寛之氏とラジオ共演を果たし、ライブイベントでは司会や補助を頼まれたことも…。自分には無縁と思われた世界を知り、戸惑いもあったがやれば出来ると自信に繋がる。つまり何が言いたいかというと、かるたって人と人を繋げる不思議な魅力がある♪

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