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長野原町かるた全札まとめ(群馬の郷土かるた)
どうもブゲンです。この記事では、群馬県長野原町の郷土かるた「長野原町かるた」を紹介していきます。 上 ...
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朝比奈三郎とは
はじめに、札に書いてある解説を見ていきましょう。
朝比奈三郎は、鎌倉幕府創立に活躍した和田義盛の第三子で、建保2年(1214年)和田合戦で勇名を轟かせたが、父兄弟ともことごとく討たれ安房の国へ逃れ行方を隠した。その後、木曽の残党の潜入した西吾妻の地へ向かったのではないか。狩宿に朝比奈三郎の墓とつたえられる五輪塔がある。
朝比奈三郎のお墓
朝比奈三郎のお墓があるのは、長野原町の応桑という地区です。
分かりにくい場所にあるため、見に行きたい方は役場などで聞いたほうがいいかもしれません。
「朝比奈三郎の墓 入口」の看板から横道に入ると、写真のような雑木林が広がっています。
看板の場所から歩くこと約50m、右手にお墓が見えました。
この五輪塔は、現在地より少し離れた黒岩義照氏の墓にあったものを移したもので、朝比奈三郎義秀の墓と伝承されている。北条九代記によれば、義秀は鎌倉の和田義盛の第三子で、生母は木曽義仲の側室、巴御前である。(中略) 五輪塔はかなり破損しているが原型を留め、その重厚な形よりこの地域では古い時代の物と思われる。また、同一の敷地内に三基の板碑が残されており時代が読めないのが残念だが、五輪塔との関係も併せ興味深いところである。
平成5年3月吉日 長野原町教育委員会