どうも舞幻です。
今回は上毛かるたの「へ」の札に描かれている
「新島襄」を紹介していきます。
同志社の創立者でもあり明治六大教育家の1人でもあります。
「札ッシュ!!上毛かるたGO!」アプリで「へ」の札がゲットできる場所。
「新島襄旧宅」やパートナー店舗もお伝えしていきます♪
-
上毛かるた全札一覧まとめ
どうも舞幻です。 この記事では、上毛かるたの周遊アプリ「札ッシュ!上毛かるたGO!!」を使っての札巡 ...
スポンサーリンク
新島襄ってどんな人?
写真は「新島襄旧宅」です。
1843年(天保14年)2月12日、安中藩士の新島民治の子として生まれます。
幼少期の名前は七五三太(しめた)と言います。
元服後にアメリカの制度に触れ、憧れを持つようになります。
アメリカに行きたくてしょうがなかった新島は、藩主の許可を得て勉学目的で函館に向かいます。
そこでキーパーソンになったのがは、当時、ロシア領事館付の司祭だったニコライ・カサートキンです。
ニコライは新島に日本語の文字などの手ほどきを受け、新島は聖書に興味を持っていたためニコライの弟子になるように勧められます。
新島はその熱心な誘いを、アメリカ行きのために断ります。
新島のアメリカ行きの手助けをしたのは、ポーター商会に雇われていた日本人「福士卯之吉」です。
新島はアメリカに到着し、A・ハーディ夫妻の庇護の下フィリップ・アカデミーで1年8ヶ月学び、更にアーモスト大学で学び卒業します。
日本人最初の外国の大学卒業生です。
その後、アンドーヴァー神学校に進みます。いわば大学院です。
在学中に岩倉使節団の団員として1年余アメリカ、ヨーロッパ8カ国の教育制度の調査を行い、
それらの経験を踏まえて近代日本の枠組みを考えていきました。
1875年11月に同志社英学校を設立します。
彼はキリスト教の伝道者として多くの人を指導し、そのデモクラシーを体得した人物を育て上げていきます。
日本人へのキリスト教の布教活動と、同志社大学の設立が彼の目的であり日本を近代国家にするうえで
これらは必要不可欠と考えていたようです。
新島は大学設立のため広く理解と協力を求めようとします。
募金もわざわざアメリカまで行き、設立のために心血を注ぎます。
しかし、長年の過労により1890年1月に大学設立の志半ばで亡くなってしまいます。
キリスト教を信仰し、日本の近代化に尽力した人物として現在でも多くの人に知られています。
上毛かるたGO!札ゲットの場所
「へ」の札がゲットできる場所は「新島襄旧宅」です。
この場所は閑静な住宅街の中にあります。
安中市は「文教のまち」として知られています。
新島襄も安中の人にキリスト教を教えたと伝わっています。
この旧宅は新島がアメリカから帰国し、日本での活動を始めようとしたときの
まさに第1歩となった場所なのです。
・住所:群馬県安中市安中1丁目7-30
パートナー店舗
パートナー店舗(カルカ)についてはこちら
「へ」の札のパートナー店舗
「花暦・花暦氷本舗」です。
・住所:群馬県高崎市剣崎町1207−9
❞お客様の気持ちをお花でカタチにする❞
お花が大好きな方に喜んでもらえる為に
ブーケ(花束)・アレンジの作り置きはしていません。
鮮度のいいお花で少しでもお客さんの要望に応えられるよう意識しています。
少しお待ちいただくかもしれませんが新鮮なお花をお渡します。
感謝の気持ちを忘れずに満足して頂けるお花を提供していきます。
・対象商品:全商品
・おすすめ商品:レインボーローズ700円~1,000円
榛名の果物を使用したかき氷150円~650円※夏季限定
高品質のレインボーローズ常時取り扱い
・電話番号:027-343-1269
・営業時間:10:00~18:00
・定休日:日曜日
・駐車場:有(10台)
にほんブログ村【群馬情報】参加してます。
良かったら↓ポチッで応援お願いします♪
にほんブログ村