どうも舞幻です。
沼田かるた巡りの旅、今回は「み」の札を紹介していきます。
~みごとな彫刻 雨宝殿(うほうでん)~
雨宝殿はもともと沼田市西倉内町にあったのですが、平成7年に下川田町に移築されました。
かるた巡りMAPには西倉内町のときの情報が載っていたので、この場所にたどり着くまでに少々苦労しました…
雨宝殿とは一体なんなのか!?何がみごとなのか!?
実際に現地に行って調べてきました!
ではでは見ていきましょう~♪
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道のり
雨宝殿は現在、東禅寺が所有しています。
以前は土岐家の祈願寺勝善寺の堂でありましたが、明治26年に東禅寺所有となりました。
元々は西倉内町にあったのですが、平成7年に下川田町に移築されています。
入口の目印は「上毛高原メモリアルパーク」です。
こちらから進んでいくと…
段々とのぼり坂になってきて、こちらの灯籠が見えてきます。
ここから100mほど進んだ先に雨宝殿はあります。
高い所にあるだけあって、景色がものすごく良いです!
沼田の下町がよく見えます。
メモリアルパークは墓地になります。そちらは雨宝殿よりもう少し上がった所にあります。
雨宝殿
駐車場から歩いていくと見えてきました…!
…ん?どこからかネコの鳴き声が。。
ネコだァァ!
しかもかなり懐っこくてカワイイ♪
ネコに案内されるように雨宝殿に向かいます。
もう神々しいよネコ君…
ネコブログになりかけそうなのでここまでにします笑
雨宝殿とは…
入母屋造。正面三間、側面四間。一重浜縁付。正面軒(向拝)唐破風付銅板葺。
間口8.23メートル、奥行8.1メートル、平面積66平方メートル。
ケヤキ材が多く、欄間など各所に多数彫刻が施されている。内には、別件指定の勝軍地蔵と厨子などがある。
この雨宝殿(うほうでん)は、土岐氏9代沼田藩主頼功(よりかつ)が、勝軍地蔵尊を祀るため文政11年(1828)に建造した。12代藩主頼知(よりおき)が奉納した『雨宝殿』の額が掲げられている。土岐氏の祈願寺勝善寺の堂であったが、明治26年(1893)に東禅寺の所有となった。
引用元:沼田市役所HP/http://www.city.numata.gunma.jp/kyouiku/bunkazai/ichiran/shi/1000859.htm
真田→本多→黒田と藩主が変わり、黒田家2代沼田藩主であった黒田直純が移封(国替え)となったため、幕府の老中であった土岐頼稔(よりとし)が駿河の田中藩から3万5000石で入部しました。
そもそも雨宝殿の役割とは…
徳川家康より「勝軍地蔵尊」と呼ばれる石像を土岐家は与えられました。
それを祀るために土岐家9代沼田藩主頼功(よりかつ)により雨宝殿は建造されました。
堂の中には代々祀られてきた勝軍地蔵尊が大切に保管されているようです。
私が訪れた時は堂は閉められていましたが、見学できるのかな…?
「雨宝殿」と書かれた額は土岐家12代沼田藩主頼知(よりおき)により奉納されました。
勝軍地蔵尊については面白い逸話が残されているので、気になる方は調べてみてください。
それにしてもスゴイ彫刻ですね!
繊細さが伝わってきます。
それぞれに物語がありそうですが一体どういったものなのでしょう…
分かる方いましたら是非一緒に行って解説をお願いしたいのです!
こういった素晴らしい彫刻が沼田かるたに選ばれた理由の1つであることは間違いないですね!
本当に見事な彫刻でした。
さて…ネコと遊ぶかー!と思って後ろを振り返ったら奥に鳥居が…!
土岐家のお墓
鳥居の先には土岐家のお墓がありました。
元々は東京都品川区の春雨寺にあったそうですが、土岐家のご祈願所であった雨宝殿がある東禅寺に引き取られたそうです。
現在の場所に安置されるまでには多くの方達の努力があったそうです…
正面右が4代頼寛(よりひろ)
正面中央が3代定経(さだつね)
正面左が初代頼稔の父、頼殷(よりたか)
手前左側が9代頼功と奥方のお墓となっています。
土岐家にとって雨宝殿がどれだけ重要なものだったかが分かりますね…!
看板ネコ!
では最後に雨宝殿の看板猫?を紹介して終わりたいと思います♪
あ、勝手に言ってるだけなので行った際にいなかったらごめんなさい!
ゴロゴロ~ゴロゴロ~
やっぱり動物には癒やされますなぁ♪
まったりと良い時間を過ごせました!
皆さんも雨宝殿を見学に行った際に会えるといいですね♪
アクセス
住所:群馬県沼田市下川田町2550
雨宝殿は外観のみ見学可能となっているようです。
昭和52年5月30日に重要文化財に指定されています。
駐車場は用意されています。
雨宝殿の彫刻は本当にみごとでした!
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