どうも舞幻です。
沼田かるた巡りの旅、今回は「い」の札になっている沼田城について紹介していきたいと思います。
昨年放送された大河ドラマ「真田丸」で、真田家の要になっていたお城ですね。
真田丸の放送が終わってからも、多くの観光客の方がお城の跡がある沼田公園に足を運んでいます。
ちなみに前回の記事で紹介した平八石も近くにあるので観光に訪れた際は一緒に見ていってはいかがでしょうか♪
ではでは見ていきましょう~!
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沼田城
この絵は当時の真田氏が治めていた沼田城をイメージして描かれたものだそうです。
この絵を描いた北村明道という画家は群馬県の生まれで、自身の描いた作品を帝国美術院に何度も入選させたとてもスゴイ方なのですよ!
絵を見て分かる通り、立派なお城だったのですね~
お城の背後は崖になっているので攻めるのも大変だったでしょう。
絵だとイメージができないよっ!という方にはこちら。
当時の沼田城と周辺がジオラマとなって展示されているのです。
こちらは沼田公園内にある沼田市観光案内所で見ることができますよ♪
こんな感じでとてもリアルに再現されています。
案内所には真田丸の撮影で使用された道具も数多く展示しているので、これを目的に来る方も多いようですよ。
それもそのはず!?こちらの所長さんは沼田市で約1年間開催された「真田丸展」を担当していた方なのです!
出演者の方のサインなどもあってとても充実している観光案内所です♪
歴史
ここで沼田城の歴史について調べていきましょう。
沼田市は群馬県の北部に位置し、四方を山に囲まれた盆地を中心として、利根川や薄根川・片品川周辺には非常に高い河岸段丘が発達しています。
沼田公園のある崖上の台地に最初に城を築いたのは、鎌倉時代以来この地方の有力者であった沼田氏(ぬまたし)の12代万鬼斎顕泰(ばんきさいあきやす)で、天文(てんぶん)元年(1532)の頃であると云われています。
倉内(くらうち)城とも呼ばれたこの城は、関東へ至る要衝の地にあることから越後の上杉氏や小田原の北条氏、甲斐の武田氏などの戦国大名によりめまぐるしい争奪が繰りひろげられることになりました。引用元:沼田市役所/http://www.city.numata.gunma.jp/kanko/1004186/1004286/1004287/1004306.html
沼田氏という一族がいて沼田城が築かれたのですね。
ちなみに沼田氏最後の武将である沼田平八郎については
↑の記事で紹介しているので読んでみてください♪
ともあれ、沼田城は多くの大名にとって重要視されていたお城だったことは間違いないですね。
現在は、本丸と捨曲輪(すてぐるわ)と二の丸・三の丸跡の一部が沼田公園内で見ることができます。
アクセス
住所:群馬県沼田市西倉内町594番地
駐車場は観光案内所側と遊具がある側の2箇所あります。
看板が出ているのでそれを見ながら駐車場のある場所まで行きましょう。
それにしても、沼田かるたは沼田公園内にある札が多いなぁ笑
それではまた!
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