沼田かるた

留守の城守りとおした小松姫~沼田かるた巡り~「る」

どうも舞幻です。

沼田かるた巡りの旅やっていきましょう!

紹介するのは「る」の札~留守の城守りとおした小松姫~ です。

2016年の大河ドラマ「真田丸」では沼田を中心に真田家の奮闘ぶりが描かれていましたよね!

沼田市も放送に合わせて「真田丸展」や真田に関するイベントを続々と開催していました。

放送が終了した2018年の今でも、沼田市は真田の里としてPR活動を行っています。

以前紹介した「上州真田武将隊」などが先頭に立ち沼田を宣伝しています。

沼田観光の新たな窓口!上州真田武将隊商い処「松之屋」を紹介♪小松姫&真田信之のかわいいグッズも!

今回紹介するのは真田信之の妻、小松姫です。

さっそく調べて行きましょ~♪

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小松姫はどんな人?

※ザックリ説明になるので詳しく知りたい方は調べてください!

小松姫(幼名:稲姫・於子亥)は1573年~1620年までを生きた女性です。

父親は徳川家の家臣であった本多忠勝です。

徳川四天王の1人として恐れられた忠勝の娘が小松姫にあたります。

 

当時の沼田領は数多の大名が狙っており忠勝の主君、徳川家康もその1人でした。

徳川家と真田家の戦も数多くあり、徳川家康は真田昌幸の智謀の前になかなか沼田を落とせずにいました。

天正15年(1587)に九州地方を制定した豊臣秀吉の命により、真田家は徳川家の与力大名(指揮下に入ること)となることが決まりました。

それに伴い、小松姫が真田信之の元に嫁いでくることとなるのです。

 

1600年の関ヶ原の戦いでは真田家は生き残りをかけて2つに分裂します。

信之は徳川家康率いる東軍に付き、昌幸と信繁は石田三成率いる西軍に付きました。

上田に戻る途中、昌幸と信繁は信之が治める沼田城に立ち寄るのですが…

そこで城主信之に代わって対応したのが小松姫でした。

彼女は敵となった2人を城内に入れることはなく、そのかわりに城下でもてなすように命じました。

その際も、敵の襲撃に備えて防備を固めていたという話が残っています。

その様子を見た昌幸は、さすが本多の娘と褒め称えたそうです。

小松姫のお墓

小松姫のお墓は群馬県沼田市の正覚寺、埼玉県鴻巣市の勝願寺、長野県上田市の芳泉寺の3寺に分骨されて埋葬されています。

今回訪れた沼田市の正覚寺では徳川家の家紋「三つ葉葵」が確認できました。

ということは真田家の家紋「六文銭」もどこかに…

こちらが正覚寺にある小松姫のお墓です。

案内看板なども出ているので分かりやすいと思います。

周囲にもたくさんのお墓が並んでいるので、見学に行く際はマナーを守って静かに行くようにしましょう。

そしてお墓をよーく見てみると…

ありました!六文銭です。

少し見えにくくなっていますが家紋を確認することができますね。

ちなみにですが、境内の一番目立つ所にスタンプ台が用意されているのです!

そこでは↑のような小松姫のスタンプを押すことができますよ♪

このボックスの中にスタンプが用意されているので、行った際には記念に押してみてください♪

正覚寺からの見晴らしはとっても良いのです!

天気が良ければ名胡桃城址のあたりまで確認することができますよ♪

アクセス

住所:群馬県沼田市鍛冶町938

沼田ICから車で約10分。沼田駅から徒歩で約20分ほどで到着します。

車で行く際は境内の駐車位置をよく確認して停めるようにしてください。

小松姫についてもっと知りたい方がいれば、冒頭で紹介した真田武将隊に聞いてみるのがおすすめです!

普段の彼らは「松乃屋」というお店で商いを行っているのでそこに行ってみましょう♪

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  • この記事を書いた人

ブゲン

食べることと群馬の郷土かるたが好きなブロガー。好きな食べ物は「餃子」好きな上毛かるたの札は「よ」 かるたが繋いだご縁で光GENJIの佐藤寛之氏とラジオ共演を果たし、ライブイベントでは司会や補助を頼まれたことも…。自分には無縁と思われた世界を知り、戸惑いもあったがやれば出来ると自信に繋がる。つまり何が言いたいかというと、かるたって人と人を繋げる不思議な魅力がある♪

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